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「渋沢栄一に学ぶ “信頼される経営者”の条件とは?」

カテゴリ : Staff Blog
「社員がついてこない」「信用されていない気がする」──

こんな悩みを、誰にも言えず抱えていませんか?

そんな今こそ、明治の実業家・渋沢栄一に学ぶ価値があります。

渋沢は、第一国立銀行や王子製紙、東京証券取引所など約500の企業に関わり、日本の資本主義の礎を築いた人物。

でも単なる“金儲け”の人ではありません。彼が大切にしたのは「論語と算盤(そろばん)」──つまり“道徳”と“利益”の両立です。

「商売は、人を欺いてはならぬ」
「社員を家族のように思え」

そんな言葉を残し、どんな事業でも“人を大切にすること”を経営の軸としました。

富岡製糸場の民営化にも深く関わった渋沢は、女工たちの教育環境や待遇の整備にも力を注ぎました。

利益を追うだけでなく、「人材を育てる場」としての工場づくりに本気だったのです。

現代でも「会社は人なり」とよく言います。

でも現実には、人を“コスト”と見る企業も少なくありません。給与や制度を整えるのは当然として、「この会社にいて良かった」と社員が思えるかどうか。
それは制度だけではなく、『経営者の“あり方”』にかかっています。

渋沢栄一が生きた時代とは、もちろん背景が違います。けれど、信頼される経営者の本質は、今も変わりません。
  • 嘘をつかない
  • 社員の人生を思いやる
  • 経済と倫理のバランスをとる
簡単そうで、実は難しい。でも、これを大事にしている経営者には、人も仕事も自然と集まります。

社労士として多くの中小企業を見てきましたが、信頼される経営者に共通するのは、「何を言うか」より「どう生きているか」がブレていないこと。

皆さまの会社では、何が“信頼の土台”になっていますか?

渋沢栄一の生き方をヒントに、今一度、立ち止まってみるのも悪くありません。


おおたけ
2025-11-01 09:00:00

2025.11.1「事務所通信11月号をUPしました!」

カテゴリ : 事務所通信
事務所通信11月号をUPしました。

事務所通信11月号
2025-11-01 09:00:00

「渋沢栄一に学ぶ “信頼される経営者”の条件とは?」

カテゴリ : Staff Blog
「社員がついてこない」「信用されていない気がする」──

こんな悩みを、誰にも言えず抱えていませんか?

そんな今こそ、明治の実業家・渋沢栄一に学ぶ価値があります。

渋沢は、第一国立銀行や王子製紙、東京証券取引所など約500の企業に関わり、日本の資本主義の礎を築いた人物。

でも単なる“金儲け”の人ではありません。彼が大切にしたのは「論語と算盤(そろばん)」──つまり“道徳”と“利益”の両立です。

「商売は、人を欺いてはならぬ」
「社員を家族のように思え」

そんな言葉を残し、どんな事業でも“人を大切にすること”を経営の軸としました。

富岡製糸場の民営化にも深く関わった渋沢は、女工たちの教育環境や待遇の整備にも力を注ぎました。

利益を追うだけでなく、「人材を育てる場」としての工場づくりに本気だったのです。

現代でも「会社は人なり」とよく言います。

でも現実には、人を“コスト”と見る企業も少なくありません。
給与や制度を整えるのは当然として、「この会社にいて良かった」と社員が思えるかどうか。
それは制度だけではなく、『経営者の“あり方”』にかかっています。

渋沢栄一が生きた時代とは、もちろん背景が違います。けれど、信頼される経営者の本質は、今も変わりません。
  • 嘘をつかない
  • 社員の人生を思いやる
  • 経済と倫理のバランスをとる
簡単そうで、実は難しい。でも、これを大事にしている経営者には、人も仕事も自然と集まります。

社労士として多くの中小企業を見てきましたが、信頼される経営者に共通するのは、「何を言うか」より「どう生きているか」がブレていないこと。

皆さまの会社では、何が“信頼の土台”になっていますか?

渋沢栄一の生き方をヒントに、今一度、立ち止まってみるのも悪くありません。


おおたけ
2025-11-01 08:00:00

「歴史から学ぶ人材育成 ~富岡製糸場に見る“学びながら働く”職場づくり~」

カテゴリ : Staff Blog
「即戦力が欲しい」と嘆く経営者の声を、よく耳にします。ですが、本当に“育てる文化”は社内に根付いているでしょうか?

140年以上前、明治政府が設立した富岡製糸場には、今の企業にも通じる「人材育成」のヒントが詰まっている気がします。

富岡製糸場の目的は、生糸の大量輸出による外貨獲得だけでなく、全国に製糸技術を広める「人づくり」でもありました。

ここに集められたのは、各地から集まった若い女性たち。
当時としては破格の待遇――労働時間は1日7時間45分、日曜休み、医療費や食費は国の負担。
さらに、裁縫や読書、習字などの“学びの場”が、職場内に整えられていました。

初代所長・尾高惇忠は、技術だけでなく「誇り」を育てようとした人物です。

実際に、ここで学んだ女工たちは郷里に戻って指導者となり、製糸業を全国へと広めていきました。
単なる“労働力”ではなく、“技術と志を持った人材”を育てていたのです。

これはまさに、「働きながら学ぶ」=“ワークプレイス・ラーニング”の先駆けと言えるでしょう。

一方で、現代の職場では「忙しくて教える余裕がない」「OJT=放置」なんてことも…。

でも、成長する場を用意しなければ、人は定着せず、組織は疲弊していきます。

富岡製糸場が示したのは、「職場は、学びの場にもなりうる」という考え方。
そして“教える側”が本気で育てる姿勢を見せたとき、若手は驚くほど力を発揮するという事実です。

制度や研修も大切ですが、まず問いたいのは“職場の育成観”。

皆さまの会社では、働く人が「ここで学べる」「成長できる」と感じているでしょうか?


おおたけ
2025-10-27 18:00:00

「富岡製糸場は“ブラック企業”だったのか? いま見直される近代化の原点」

カテゴリ : Staff Blog
「女工哀史」や『あゝ野麦峠』の影響もあり、製糸工場と聞くと「過酷な労働環境」を連想する方は多いかもしれません。
ですが、明治5年に開設された官営の富岡製糸場は、実はまったく異なる性格を持っていました。

富岡製糸場は、当時の日本における“近代化の旗艦”として、政府主導で設立された模範工場。
労働時間は1日7時間45分、日曜休み、医療費・食費は国が負担。
宿舎も完備され、読み書き・裁縫といった教養も学べる教育的な場でもありました。

「異人が乙女の生き血を吸う」といったデマが広がったとき、初代所長の尾高惇忠は、自らの13歳の娘を女工として入所させ、風評を払拭しました。
働くことへの誇りと学びの機会があり、彼女たちは技術を身につけて郷里に戻り、各地の製糸場でリーダーとなっていったのです。

一方、『あゝ野麦峠』が描くのは、時代が下った大正~昭和初期の民間製糸工場。
急速な経済成長の中で労働力の需要が高まり、過酷な長時間労働や低賃金が問題となりました。
つまり、同じ「女工」といっても、富岡製糸場とその後の民間工場では、背景も環境も大きく異なるのです。

ここには、現代にも通じる教訓があります。

働き方改革、そして「休み方改革」が叫ばれる現代。
単に労働時間を短くすれば良いのではなく、「働く場に誇りが持てるか」「成長の機会があるか」「安心して休める仕組みがあるか」といった、職場の“質”が問われているのではないでしょうか。

140年前の富岡製糸場が、実はそうした観点で設計されていたことに驚かされます。
企業として“模範”であろうとしたその姿勢こそ、いま私たちが見直すべき価値なのかもしれません。


おおたけ
2025-10-27 17:08:00

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